And others 16(Part 1)

Contributor/しゃんぐさん
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アクワイの無様な――そしておそらくはいつもどおりの――日常(前編)



「はあ……」
 ゴミバケツに腰掛け、アクワイはこの日18回目の溜め息をついた。
 時刻は午後三時――何のことはない。30分に一度ついているのである。


 秋の夕日はつるべ落としとは言ったものだが、この国の夕暮れは彼の故郷より更に早い。
 裏路地の古びた壁の隙間からのぞく秋模様の街並み。枯葉に架かる夕日の影、いそいそと帰宅の途をなす者らのざわめきが、今日の終わりを鮮やかに彩る。
「今日も進展なしか……はあ」
 連続で19回目のため息。何かを諦めた様子で、アクワイはゴミバケツから腰を浮かせた。
 ベコンと、ゴミバケツの凹みが戻る音。両隣の店舗のゴミは生ゴミを中心に山を成している。もっとも、ブリキの蓋を越えるほどの量のゴミは出ておらず、臭いも気にするほどではない。店舗が酒場やレストランでないことも幸いしているのだろう。
 裏街道、と言っても直ぐ先は袋小路である。この場の進入口は、両隣の勝手口を除くと基本的に表街道のみとなる。
 こんな辺境――あくまで彼の視点でだが――に自らの命を脅かす敵などいるはず無いのに、変なところで習性が抜けない。……抜けていいものでもないが。
 だが、肝心なところが抜けてきているような自覚もある。あの宿屋の一軒だってそうである。突然の銃声に思わず体が反応してしまい、その結果……
――嫌な思い出に、足までどっぷり浸りそうになる自分に気付き、あわてて首を振る。
 何にせよ、(事実上)入り口が一つと言うことは出口もまた一つである。
 このまま奥に行きたい気分ではあった。ひっそりのんびりと意義と意味のある生活を送りたい。ただでさえアジア系の顔、髪に体つきの自分は、好意的とは言え好奇の目に晒されやすいというのに。こう何もかも無意味な生活を送っていては胃に穴が空きそうだ。


〜アクワイの現状〜
 ・本国に送った“サリサタ様発見”の報告の返信が来ない。
 ・ゆえに次の指令をだらだらと待つ事しかできない。
 ・さらに配給の金が尽きてしまい、毎日早朝から船の荷物運びをしなければいけない。
 ・あの毎朝出る豚の血を固めて作ったとか言うソーセージがどうしても口に合わない。
 ・そして何よりサリサタ様に近づこうにも、あの、あ、あか…あ、あぁあああ! 赤毛の死神が!!



 今度こそどっぷりと嫌な思い出に肩まで浸かり、脂汗を流して髪をかきむしるアクワイ。どうも、何らかの心的外傷を抱えてしまっているようだった。
――と、不意に子供の声が、遠くから聞こえた。
 “子供の声”にアクワイは思わずに“はっ”と顔を上げ……すぐさま目を剥かんばかりに“ぎょっ”となった。
 そこには、マフラーと毛糸の帽子をかぶり、右手に包帯を巻いた小さな女の子と……その女の子に手をひかれるようにして歩いている“赤毛”の少女――
 視認――いや、視界にそれを収め――いや、とにかく即断即決で、彼は脱兎のごとく転身しようとしてブリキのゴミバケツを蹴飛ばした。
 ガン、と音が鳴る。
 大して響いたわけでもないその音に、必要以上に仰天して冷静さを失うアクワイ。半ばパニックに陥りながら、腰の引けた足で走ろうとして、湿った枯葉に足をとられ、盛大に足を滑らせる。
 そしてそのまま……生ゴミ入りのゴミバケツとその他もろもろの山へと、まるで“狙ってやっているようにしか思えない”ほどの“おいしさ”で飛び込んでいった。


「――?」
 何か盛大な――まるでゴミ溜まりに人が飛び込んだような音がして、少女は振り返った。振り向くと、パン屋と総菜屋の間からブリキの蓋がコロコロと路地に転がって行くのが見えた。
「おねぇちゃん、はやくいこうよぉ」
 ぼんやりとそれを見る少女の袖を、愛らしい女の子が引っ張る。女の子の右腕には注射でもしたかのような清潔な白い包帯が巻かれていた。 
「あ、ごめんごめん」
 診療に来た女の子。はじめ泣きに泣いて診療もままならなかった彼女にあらゆる手を駆使してなだめ、結果彼女のお気に入りに任命されてしまった少女が柔らかに謝った。
 “仕事はいいから彼女を家まで送ってやれ”。――そう命じられて少女は、女の子と仲良く手をつないで帰る途中だったのである。
「早くお家に帰ろうね」
 少女は、赤い髪を風に乗せて優しく微笑んだ。 
「うん♪」
 女の子も八重歯を見せて“にぱ”と笑った。


 人違いだと確かめる余裕すらなく……アクワイは怯えた小動物のようにゴミバケツを引っかぶりガタガタと震えていた。
 かなりの時間――宵闇が辺りを支配し始めた頃合になって、ようやくアクワイは冷静さを取り戻した。同時に生ゴミと腐った枯葉と、その他もろもろの入り混じった臭いが、長い時間差を経て今頃強烈に襲いかかる。
 アクワイは勇気、と言うよりは単純に、この生臭さを抜けたいがためにそぉっと、ゴミバケツ越しに路地を覗いた。
「カー!!」
 カラスが鳴いた。
「うわああ!!」
 恐慌状態に再び陥ったアクワイ。しっちゃかめっちゃかに両手で宙をかき回す。
 生ゴミを食べていたカラスはそんなアクワイを「やってられねえぜ」とばかりに嘴を歪ませて嘲笑ってから、空へと飛び立っていった。
 カラスも鳴いて帰ったのである。
 羽音と鳴き声を聞いて、ようやく状況を理解したアクワイは安堵してその場にへたり込んだ。
 当面の危険は(元から全く無かったのだが)去ったのだった。


 ガス灯の明かりが裏路地にも漏れ入る。
「はあ……」
 アクワイは20回目のため息をついた。
 ちなみに30分以上震えていたおかげで、30分に一回と言う法則は律儀にも守られている。
「今日“も”災難だったなあ……」
 他人が聞いたら、やさしく肩を叩いてバーボンでも奢ってくれそうな(しかし、顔は半笑い)台詞を宣ってアクワイは天を仰いだ。
 夜空は、昨日も今日もその延長も、いつでも同じ夜空であった。
 職業柄、頭に叩き込んでいる星座の配置が故郷のそれと違うのを見て、遠くに来たものだと改めて実感する。
「サリサタ様……」
 彼の目的、そして生涯をかけて仕えるべき“姫”の名を細く遠い月に投げかける。
「あなたは変わられた。…………それは、良いこと……なのだろう。多分」
 少々現地語の訛りがひどいようだけど……とは口に出さずにおく。
「確かに……彼らは強い。それはただ仕えるだけの僕には到底真似の出来ない強さだ。彼、彼女達は間違いなくこれからの貴女をより強く輝かせる存在となるでしょう」
 淡く輝く弧月を望み、肩を落とす。ですが――と、アクワイは呟く。まるで自分が――そして自分の背負うものの全てが、昏き夜の世界に取り残されたかの様に。
「ですが――サリサタ様はこの星空を観て……故郷を思うことはないのですか? この世界にただ一つの星空を眺めて、サリサタ様のお帰りを今か今かと御心配なされている“親方様”のことを考えたことはないと仰るのですか?」
 21回目の溜め息は、白い夜霧を生んで夜に紛れた。
「……いやぁ、ウチの親父殿にそんなロマンチックな趣味はないと思うぞ」
 突然、“背後”より声がして――アクワイは即座に前転した。受身を取り上半身を捻りつつ、“襲撃がありえないはず”の後方の声――その発生源の喉笛を“頭の中だけ”で狙いを定め、袖から出した仕込み飛刀を投擲する。その一連の動作はまるで型にでも嵌ったかのように正確で、そして無駄のない洗練された挙動であった。
 飛び行く飛刀に音は無く、かわされたのだと理解するよりは幾瞬早く――アクワイは、腰だめに立ち上がり右のコルト・パイソンを引抜く。
 撃鉄を半ばまで起こし、そして起こし切らずに離そうとして――
「ストップだ♪」
カチリ――と言う音と共に、まるで耳元で囁く様なくすぐったい声がした。
 いや、声の主は紛れも無く耳元にまで間合いを詰め、そして“落ちるはずの撃鉄を落ちるより早く”起こして固定したのだ。それはまさに“神業”。限定ゆえに最強足りうるアクワイには、敗北以外に道が残されていない想定外の能力。
 アクワイの目は撃鉄を起こした細く、染み一つ無いしなやかな手に釘付けになった。白い手は、アクワイの銃を持つ手を優しく撫ぜて再び囁いた。
「この星空に銃声なんて無粋なものは相応しくない。そうは思わないかい……アクワイ?」
 この街で、極小数しか知ることの無い自らの名を呼ばれ、アクワイはまるで悪い夢から覚めたかの様に現実を取り戻した。
――匂いが、蘇る。華やかだが懐かしい……だがこの街のどこであろうと”聞く”ことのできない心地よい香り。だがアクワイはこの匂いを知っている。
「あ、あなたは……」
 銃を取り落とす。何かに取憑かれたかの様にふらふらと数歩下がって……ようやく、アクワイは声の主の顔を見た。
 囁きの主――ライムライトに柔らかく溶け込む髪。果て無き夜空よりも深く、蒼月よりも神秘なる瞳。口元に浮かぶ微笑は怜悧さと慈愛を兼ね備え、路地裏のゴミ山の上ですら気品をまるで損なうことのない――間違えるはずが無い。このお方は――
「やぁ、アクワイ。僕のような美しい存在に躊躇いもせずに仕込み武器を投げるだなんて……相変わらずの変態ぶりだな」
 羞花閉月の美貌の麗人は、片目を細めて愉快そうに哂った。

つづく

To be continued Part:2》
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